王維の詩「相思」に託す

     相思 王維 

紅豆生南國, 紅豆 南國に生じ,
春來發幾枝。 春來りて 幾枝か發く。
願君多采擷。 願はくは 君多く采擷(さいけつ)せよ。
此物最相思。 此の物 最も相い思はす。

 

南の国に産する紅豆は、春が来て、いくつの新たな枝が出ただろうか。願わくば君その実をたくさん摘み取ってくれ。紅豆は最も人の相思の情を導いてくれるから。

 

红豆生南国,春来发几枝?愿君多采撷,此物最相思。

“红豆生南国,秋来发故枝。劝君休采撷,此物最相思。” とする出典もあります。

私は、前者が好きです。

 

唐代の詩人王維の詩「相思」(五言絶句)を読みました。

この詩の題を、「相思子」「江上贈李亀年」とするものもあります。

 

別名「相思子」ともいう江南地区に生息する紅色鮮やかな実をつける植物「紅豆(トウアズキ)」に仮託し、遠く南方にいる友を思う情感を詠んだものです。

 

私が中国の大学で教え始めた頃、思いを寄せる遠方の恋人に紅豆を送ることが大学生の間で流行っていました。大学進学で故郷を離れ、親からの仕送りのお金と奨学金で勉学に励む学生にとって、高額な贈り物はできない、しかし、なんとか思いを届けたいという切実な願いは、1粒の「紅豆」が入った封筒として郵便配達人に託されました。

 

あれから10年足らず、中国社会は豊かになり、スマホのタッチ一つで、高価な贈り物や花束を簡単に相手に贈ることができるようになりました。しかし、やはり中国の「読書人」つまり、知識や真実を追究しようとする「知識分子」を目指す学生は、今でも、「紅豆を送る意味」を解する「共通言語」をもった相手を見つけたいという思いを抱いているようです。

 

今もなお、この唐代の詩人王維の詩「相思」が愛されているのは、遠方にいる友や恋人を思う気持ちを、この詩が素朴にかつ美しく表現しており、共感しやすいからでしょう。

 

最近は、《送你一颗红豆(1粒の紅豆を君におくる)》(夏诺多吉著)というネット小説が若者の間で受けているようです。これはまだ読んでいませんが、かなり現代的、現実的な内容になっているようです。

 

日本人に比べて直接的な表現を好むように感じられる中国人ですが、やはり文化人、知識分子と呼ばれる人たちは、自分の思考や意見を唐詩の一句や論語の一節を借りて表現することが多く、それを共有できる友との会話を楽しむのが好きなように思います。

 

中国文化は深淵で、学ぶことに果てしなさを感じますが、毎日少しずつ学び続けることが、中国文化の影響を受けた日本を理解するためにも大事だと思います。そして自分自身を知るためにも。

 

令和の世 海を隔てし彼の地まで 費やさむとす 一月(ひとつき)のとき  cogito

 

 

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