劉禹錫の詩「歲夜詠懷」に思う

       歲夜詠懷

    劉禹錫

  彌年不得意,新歲又如何。

  念昔同遊者,而今有幾多。

  以閑為自在,將壽補蹉跎。

  春色無情故,幽居亦見過。

 

年を経るごとに思い通りにならなくなる、新しい年はどんな年になるのか。 昔、共に遊んだ(志を同じくした)友たちを懐かしく思うも、いま生きているのは幾人くらいか。 閑居を自在とし、長寿をむなしく過ぎた歳月を補うものとする。人情とは無関係に春はまた、幽居する私を訪ねてくる。

 

「歲夜詠懷」は唐代の詩人劉禹錫(772-842)が821年の除夕(大晦日)に詠んだものです。

劉禹錫は、儒学の名家に生まれ、貞元9年(793年)進士に及第、中央政界で同じ年に進士となった柳宗元とともに永貞の革新を推進した人としても知られています。急激な改革は政敵を多く作り、順宗が退位した後、左遷を命じられ、その後文学に没頭します。後に長安に召還された時期もありましたが、地位が安定せず、不満の多い人生となります。

この詩が詠まれたのは、友人の死などが重なり、孤独と不甲斐なさで意気阻喪していた時期と重なります。

 

 

2021年2月12日、中国は春節を迎えました。

新型コロナウイルスの感染が終息を見ないまま一年が過ぎました。今年の春節は感染拡大を防ぐため、政府の呼びかけで、故郷に帰省せず学校や職場のある場所で過ごしている人も多いです。

 

大学にいる留学生や外国人教師も例外ではありません。例年なら日本に帰って冬期休暇を過ごす私も、中国で初めての春節を迎えました。

 

これまでも、日本から中国の友人や学生に祝賀メッセージを送ってはいましたが、春節に特別な思い入れはありませんでした。しかし、今年は中国の外国人教師専用宿舎で過ごしている日本人教師も多く、私も中国人の友人や学生とだけでなく、日本人の教師仲間とのSNSでの交流を楽しみました。

 

そうしたお祝い気分の中、ある日本人教師の友人から「普段と変わらぬ朝を迎えました。ただ、新年ってなんだろうと考えながら・・。」というメッセージが届きました。彼は、70歳を間近にしたベテラン教師で、中国での生活も20年を越えます。夏と冬の長期休暇(約2ヶ月)を日本で過ごし、それ以外(約10ヶ月)は中国の大学で仕事をする、日本と中国を行ったり来たりする生活を続けてきた方です。

 彼の言葉を反芻しつつ、新年の意味を考えています。

 

中国の大学で仕事をしている日本人教師は、日本で新年の挨拶が交わされる時期は学期末試験に追われます。そして、期末試験が終われば、日本に帰国するため、中国の新年も実感がありません。1年が終わり、また新たな1年が始まるという実感を持ちにくいともいえます。

 

もうすぐ中国での教員生活が10年になる私自身は、西暦1月1日を元日とし、気分を一新し、新年の目標を掲げることをやってきましたが、そうして時を区切ることに如何ほどの意味があるのでしょうか。

 

1200年前、劉禹錫は再び新春が巡ってくることを恨めしく思うと共に、春がもたらす一抹の希望を感じていたのではないでしょうか。過ぎ去った年が如何に悲惨なものであったとしても、そこに一つの区切りをつけることで、新たな一歩を踏み出すこともできます。

 

2020年は新型コロナウイルスが猛威を振るい、多くの命を奪いました(世界全体で236万8527人、日本時間の12日午後3時の時点でのアメリカ、ジョンズ・ホプキンス大学のまとめによる)。

多くの人が家族を失い、仕事を失い、先の見えない不安の中でもがき、今も終息していません。しかし、2021年、新たな年を迎え、模索の中にありながらも、治療法の進歩やワクチンの開発・接種など、新たな希望の光に向かって歩き出しています。

 

 

彼のメッセージには、続きがありました。「今年がより良い年になることを願うばかりです。」と。

 

私たちは、より良い年にするために、やれることをする、これしかないように思います。

 

時間は留まることなく流れていきます。その流れに抗うことはできません。

「いま・ここ」をより良く生きるのみです。

 

  福の字を上下逆さに貼りてみむ旧正月の元日の朝  cogito

 

 

f:id:COGITO:20210315121012j:plain