張繼の詩「楓橋夜泊 」に思う

    楓橋夜泊  

      張繼

  月落烏啼霜滿天, 月落ち 烏啼いて 霜天に滿つ,

  江楓漁火對愁眠。 江楓漁火 愁眠に對す。

  姑蘇城外寒山寺, 姑蘇城外の寒山寺,

  夜半鍾聲到客船。 夜半の鐘聲 客船に到る。

 

月は落ち、烏が啼き、霜は空に満ちて、岸の楓樹と漁火が旅の愁いにひとり眠れぬ私の目にうつる。夜半、蘇州城外の寒山寺の鐘の音が、舟に響いてくる。

 

「楓橋夜泊」は、唐代の詩人張繼の七言絶句。張繼は進士に及第するが、2年後に安史の乱が起こり、戦乱を避けて江南を10年ほど漂白しています。

 

この詩は、旅愁詩として、中国でも日本でもよく知られた詩です。

詩人は、旅の一夜、船中で眠れない孤独な心情を、水郷の夜景とそこに鳴り響く鐘の音とともに描写します。旅愁に寝付けず耳にした真夜を告げる鐘の音。船の中に横たわりながら、詩人は一人何を思ったのでしょうか。

この詩に関し、描写されている場面については、古来論争が絶えません。

 

 

2019年4月、私は初めて蘇州を訪れました。蘇州は“上有天堂,下有苏杭”(上に天国有り、下に蘇州・杭州あり)と称えられ、観光地としても有名です。しかし、中国で暮らすようになってからも、ながく訪れる機会がありませんでした。

蘇州の中国人の友人の誘いを受けて訪れると、観光地として開発が進んでいるとはいえ、やはりその独特の雰囲気に中国の歴史を感じました。

 

詩の中に描かれる寒山寺の鐘ですが、残念ながら今はなく、抗日戦争の際に、日本人に持ち出され、行方がわからないと聞かされました。

中国に住み、いろいろな場所を訪れると、こうした状況によく出くわします。日本人は、まず文化大革命に起因するのではと考えがちですが。

 

日本と中国の交流の歴史は長いです。双方を多くの人が往来しながら、互いの良いところを学び、吸収し合ってきました。

情報や物の流通が進歩した現代においては、生活様式などほとんど差異が見られなくなってきています。

しかし、両国は国情が異なり、教育も異なります。その違いを理解しながら、自らのバイアスを認識し外していく努力が必要でしょう。

 

また、近いうちに蘇州の友人を訪ねてみたいと思います。

 

   

   抗日の声の響きて聴覚と脳神経のブロックかかる  cogito

 

 

f:id:COGITO:20210317131419j:plain