賀知章の詩「 回鄕偶書 二首」に思う

      回鄕偶書 二首

     賀知章
 其の一

   少小離家老大回、鄕音無改鬢毛摧。

   兒童相見不相識、笑問客從何處來。


  少小家を離れ老大にして回る、鄕音改まる無く鬢毛摧る。
  兒童相い見て相い識らず,笑ひて問う「客何れの處從り來る」と。

 

若い時に故郷を離れて、歳をとってから帰ってきた、故郷のなまりは改まらずそのままであるが、鬢の毛は少なくなった。 故郷の子供に出会っても知るものはなく、笑いながら問いかけてくる「お客さんは、何処からやって来たのですか?」と。


 其の二

   離別家鄕歳月多,近來人事半消磨。

   唯有門前鏡湖水,春風不改舊時波。


   家鄕を離別して歳月多く,近來人事に半ば消磨す。
   唯だ門前に鏡湖の水有り,春風舊時の波を改めず。

 

 故郷を離れて長い年月がたち、故郷の人事変遷は大きく、多くはなくなってしまった。 ただ、門の前に鏡湖の水があり、春風に吹かれ波紋は昔のままである。

 

「回鄕偶書二首」は、唐代の詩人賀知章(659?-744?)の組詩作品。

賀知章は37歳の時進士に合格し故郷越州永興(現在の浙江杭州蕭山)を離れました。彼が朝廷の官職を辞して故郷に戻ったのは86歳の時と言われます。

 

第一首では、故郷を離れた時は若かったのに、今はすっかり年をとってしまったという感慨を述べています。自分の故郷のなまりは変わらないが、故郷の子供に自分を知るものはいないという寂しさが子供の問いの形で素朴に描写されています。

 

第二首では、50年の歳月を経て変わってしまったものと変わらずにあるものを対比することで詩人の流れ去った歳月に対する感慨が表現されています。

 

 

50年という歳月は、人も社会も変えます。

しかし、現代の中国は変化が激しく、半年や1年で様相は一変します。

 

1年間日本に留学していた学生は、中国に戻り、現金が使えずに面食らったという話や都市開発で街の様子が一変し、自分の家がわからなかったという話など、中国の変化を興奮気味に報告してくれます。

 

また、日本への留学経験を持つ中国人教師からは、日本を久しぶりに訪れ、変わることのない日本に懐かしさを覚えたという話をよく聞きます。

 

夏と冬の長期休暇に日本に帰る私は、変わらずにある故郷に安堵すると同時に、社会が確実に高齢化していることに不安を覚えたりもします。

 

諸行無常、この世の万物は常に変化し、ほんのしばらくもとどまるものはありません。変化の遅速はあっても、全ては変化していきます。

抗えない法を受け入れ、変化を楽しんでいきたいものです。

 

 

    スカイプのアプリの繋ぐ故郷で臘梅咲いたと父の笑えり  cogito

 

 

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