李商隠の詩「夜雨寄北」に思う

    夜雨寄北  夜雨 北に寄す

      李商隠

 

  君問歸期未有期,   君 歸期を問ふも 未だ 期有らず,
  巴山夜雨漲秋池。   巴山の夜雨 秋池に漲る。
  何當共剪西窗燭,   何か當に共に西窗の燭を剪りて,
  卻話巴山夜雨時。   卻って巴山夜雨の時を話すべき。

 

君はいつ帰るかと尋ねるが、まだその時期はわからない。今夜この巴山では秋雨が降りしきり、池を満たしている。いつになったら部屋の窓辺で共に灯心を切りながら、この巴山の夜の雨のことを語ることができるだろうか。

 

「夜雨寄北」は、晩唐の詩人李商隠(813?-858?)の七言絶句。

李商隠は進士に合格し官職に就くも「牛李の党争」の影響で出世がかなわず、不遇のうちに終わりました。律詩と絶句に優れ、典故を多用した隠喩の多い難解な詩風で知られています。

 

この詩は、秋の雨の夜に北にいる人に宛てて詠んだものです。当時李商隠は、巴蜀(現在の四川省)に滞留していましたが、北の人が友人なのか妻なのかは定かではありません。

 

近体詩では、一般に重複を避けた方がよいとされますが、この詩では、かえってそれが効果を上げています。一句で「期」を問いと答えに使い、その日を待ちわびる心情を表現し、2句と4句で「巴山夜雨」を重複して用い、巴山の夜に降りしきる雨の中の孤独と帰郷して語り合うことを願う痛切な思いが表現されています。技巧的な詠みぶりながら、相手への思いの深さが伝わってきます。

  

現代のように「会いたい」と思えばスマホのアプリで画面越しに話すことができ、飛行機に乗れば数時間で実際に会うこともできる時代とは異なります。それ故に、会うことがかなわぬ辛さや孤独感はつのり、その深まりが「詩」へと昇華されるのでしょう。

 

2020年は新型コロナウイルス感染症に始まり、1年を経過してもなお終息にいたっていません。この間、今までは当たり前だったことが当たり前ではなくなりました。

多くの人が、いつでも会えた人と会えなくなるという事態に直面しました。

 

私は日本にいながら入院中の母と長く面会がかないませんでした。今は、海を隔てているとはいえ、本来は飛行機で2時間の距離である故国への帰省が難しいです。

 

そうした中で、改めてこの詩を読むと、これまでとは異なる深度で詩人の思いを受け取ることができます。

 

人生を長く生きて、いろいろと経験してみるのも悪くないですね。

 

 

  新春の挨拶交はす電話ごし父の小さく咳する音す   cogito

 

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