王維の詩「竹里館」に思う

   竹里館  王維

  獨坐幽篁裏, 独に坐す 幽篁の裏、

  彈琴復長嘯。 琴を弾じて復た長嘯す。
  深林人不知, 深林 人知らず、

  明月來相照。 明月 来りて相照らす。

 

一人静かな竹林に坐り、琴を弾き、また声を長く引いて歌う。

深林の奥(のこの楽しみ)を誰も知らない、ただ月だけが私を照らしてくれる。

 

「竹里館」は、唐代の詩人王維(699?~761)の五言絶句。

この詩は、王維の別荘「輞川荘」で詩友の裴迪と唱和した作品を収めた「輞川集」に収められています。合わせて40首が収められていますが、その中でも名高い一首です。

悠々自適、一人月を友に琴を弾き歌う姿は、超俗的であり、伝統的な文人の理想の隠遁生活のさまとも重なります。

夏目漱石は、『草枕』の中でこの詩を引用し、「只二十字のうちに優に別乾坤を建立して居る」と評しています。

 

王維は、仏教を信仰していた母親の影響もあり、早くから仏教を信奉しており、同時代の詩人李白が「詩仙」、杜甫が「詩聖」と呼ばれるのに対し、その静謐な詩風から「詩仏」と呼ばれます。

 

この詩は、詩人が理想とした姿、境界が描かれているといえるでしょう。

 

 

この詩を読むと、いつも大叔父(祖父の弟)のことを思い出します。

彼は、東京美術学校で学び、卒業後は長く美術教育に携わりました。一時は帝国美術展覧会にも出品し、注目されたこともありましたが、展覧会に異を唱え、そこを離れてからは、展覧会とは無縁だったようです。

私が知る大叔父は、すでに教職を辞し、熊本の郊外に竹林のある土地を求め、そこで隠居生活をしていました。

竹林に小さな平屋と陶器制作のための焼き竈を作り、読書と創作の日々を送っていました。茶道を習っていた私のために、よくお茶碗を焼いてくれました。子供がいなかったため、本家にいた私をかわいがってくれました。私は、正座して本を読む大叔父のそばで、よく話を聞きました。

晩年は仏像制作に多くの時間をあてていました。

大叔父は1999年に100歳の天寿を全うして逝きました。

大叔父が作ってくれた仏像と茶碗は、私の宝物です。

 

 

  爽籟は古人の糟魄運び来て孤独の時を充たしくれたる  cogito

 

 

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