王昌齡の詩「芙蓉樓送辛漸」に思う

   芙蓉樓送辛漸  芙蓉楼にて辛漸を送る
     王昌齡 

  寒雨連江夜入吳, 寒雨 江に連なって 夜 呉に入る

  平明送客楚山孤。 平明 客を送れば 楚山孤なり
  洛陽親友如相問, 洛陽の親友 如し相問わば

  一片冰心在玉壺。 一片の氷心 玉壺に在り

 

冷たい雨が長江に降りしきり、夜にはこの呉の地を覆った。夜明けに友を見送れば、楚の山さえ孤独に見える。洛陽の友達がもし私のことを尋ねたら、彼らに答えてくれ、私の心は、玉壺の中の氷のように清らかだと。

 

「芙蓉樓送辛漸」は、唐代の詩人王昌齡(?-756?)の七言絶句。友人の辛漸を送った際に作った詩二首のうちの一首です。

王昌齡は、開元15年に進士となりますが、官途に恵まれませんでした。安史の乱のため故郷へ戻ろうとする途中、亳州(現在の安徽省)の刺史(州の長官)閭丘暁に殺害されています。

この詩は、王昌齡が江寧(現在の南京)に左遷され、激しい非難に晒されていたときに作られたものです。

前日呉に入り、友人辛漸の送別の宴を張ります。静かな秋の夜長、詩人は寝付けず雨の降りしきる音を聞いていたのでしょう。翌朝、いよいよ友を見送り、その船影も消え、その後にはぽつんと聳える山が目に入ります。まるで孤独な自分と同じであるかのような。

 

友と別れ、孤独をかみしめつつも、プライドを保とうとする詩人の気概と澄み切った心情が最後の一句に込められています。

「玉壺の中の氷」とは、六朝宋の詩人鮑照の「白頭吟」の冒頭に『直如朱絲縄、清如玉壷冰(直きこと朱糸縄の如く、清きこと玉壺冰の如し)』と、女主人公が自身の心情を表白することから始まる句があり、心の純潔さを表す比喩となっています。

同じ唐代の詩人王維には、「清如玉壷冰」と題する19歳の時の詩もあります。他にも同じ「清如玉壷冰」を題とする詩は多く、清き心情への追求ともいえるでしょう。

 

人生には挫折や困難はつきものであり、時に自分の不遇を嘆きたくなるときがあります。そんなとき、「一片(いっぺん)の氷心(ひょうしん)玉壺(ぎょくふ)に在(あ)り」と自らを鼓舞し、清らかな心を保とうと努力することも大切かも知れません。澄み切った心眼には、新たな道が見えてくると信じて。   

           

 

  硯洗ひ鋒鋩の目を立て直す心の襞を蘇生さすがに  cogito

 

 

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