李白の詩「黃鶴樓送孟浩然之廣陵」に思う

  黃鶴樓送孟浩然之廣陵  黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る

    李白

  故人西辭黃鶴樓, 故人 西のかた黄鶴楼を辞し

  煙花三月下揚州。 煙花三月 揚州に下る
  孤帆遠影碧空盡, 孤帆の遠影 碧空に尽き

  唯見長江天際流。 惟だ見る 長江の天際に流るるを

 

古くからの友人が西に向かって黄鶴楼に別れを告げ、花霞のかかった美しい三月、揚州へと舟で下る。帆影は青空に吸い込まれるように消えてなくなり、ただ長江が空の果てまで流れていくのが見えるだけである。

 

「黃鶴樓送孟浩然之廣陵」は、唐代の詩人李白(701-762)の七言絶句。

黄鶴楼で先輩の詩人孟浩然の旅立ちを見送った際に作った詩です。

 

開元15年(727年)当時27歳の李白は、放浪の末、安陸(現在の湖北省安魯)に到ります。

安陸寓居中に李白は12歳年長の孟浩然と出会います。李白は先輩詩人で当時すでに天下に名が轟いていた孟浩然を大変尊敬しており、孟浩然も年下ながら李白を高く評価し、2人はすぐに意気投合します。

開元18年(730年)3月、李白は孟浩然が広陵(現在の江蘇省揚州)に行くことを知り、黄鶴楼でその旅立ちを見送ります。

 

詩の前半は、場所は名高い黄鶴楼、時は花盛りの三月、繁華な都会揚州に赴く旧友を送るというもので、華やかな雰囲気に満ちています。

後半は、友が去ったあとに残された李白の姿が、彼の目から見た風景を通して描かれます。友人の乗った舟が見えなくなるまで見送り続け、舟が見えなくなっても、なおじっと立ち尽くし長江の流れを見つめ続ける李白。そこに深い惜別の情が表現されています。

 

前に、杜甫が李白を懐かしんで作った詩「春日憶李白」を読みました。

杜甫は11歳年長の才能あふれる李白に、憧れにも似た尊敬の情を抱きつつも李白にない独自の詩風を追求しました。

李白は、12歳年長の孟浩然を崇敬しつつも、やはり自由豪放で浪漫あふれる独特な詩の世界を構築していきます。

このように唐代には才気あふれる詩人たちの交流があり、互いを意識しながら高めあえる社会の雰囲気があったのだと考えられます。

芸術が花開く環境要因は様々ですが、やはり素晴らしい「仲間」との交流は、大事なポイントになりそうです。

 

   十分と時間を決めて歌を詠む曹植の才我に与えよ

   曹植は七歩の間に詩をつくり我は万歩で今日を詠へず   cogito

 

 

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