王維の詩「山中送別」に思う

山中送別  王維

山中相送罷, 山中 相ひ送ること罷みて,
日暮掩柴扉。 日暮 柴扉を掩づ。
春草明年綠, 春草 明年綠なるも,
王孫歸不歸。 王孫 歸るや 歸らざるや。

 

山中友を送り、(遠く行ってしまったので)見送ることをやめ(自宅へ戻り)、日が暮れてきたので、柴で作った粗末なとびらを閉じる。春の草は、明年も緑になることだろうが、(その頃には)友よ、君は帰るのだろうか。

 

「山中送別」は、唐代の詩人王維(699?-761)の五言絶句。

送別詩の中でも、異なる趣を持っており、解釈も分かれています。

王孫(送った友人)が誰であるのか不詳。一説では、王維自身を指すのではないかではないかと言われます。

王維は、別墅のある輞川の山中で隠遁生活を送っていました。「竹里館」に詠んでいるように、それはある種、悠々自適、超俗的で文人の理想とする生活とも言えますが、時には王維自身にも迷いが生じたのでしょう。自分自身に、本来居るべき所に帰るのか、帰らないのかと問うている、そうした解釈もできそうです。

 

現代と異なり、古代の文人にとって人生の選択肢は少なく、官吏として勤めるか隠遁生活をするかの二択であったと言います。そうした中、王維も半官半隠の生活を送っています。

詩人の心情を察するのは難しいですが、「詩仏」と呼ばれた王維にも、心の迷いが生じることがあったのかも知れないと思うと、その詩の世界を、少し近くに感じることもできそうです。

 

  欠けてゐるもの埋めなむと生きてきぬ十六夜の月海を照らせり  cogito

 

 

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