薛濤の詩「送友人」に思う


      送友人

            薛濤

水國蒹葭夜有霜,  水國の蒹葭 夜 霜有り,

月寒山色共蒼蒼。  月寒く 山色も 共に蒼蒼たり。

誰言千裏自今夕,  誰か言ふ「千里 今夕 自りす」と,

離夢杳如關塞長。  離夢 杳如として 關塞 長し。

 

水郷の生えたばかりの葦には、夜になって霜が降り、月は寒々として、その下に連なる山々の色とともに青く冷えきっています。

「今宵、千里の旅の別離」と、どなたがおっしゃたのでしょうか、私にとっては、千里などの遠さではないのです。あの萬里の長城の、その十倍も百倍もの遙か遠いところへの旅立ちと感じられるのです。

「送友人」は、唐代の女流詩人薛濤(?-832)の五言絶句。

この詩は、「送別詩」の中でも著名な詩であり、《诗经》の《秦风·蒹葭》の詩境を背景にした修辞法が使われ、婉曲で含蓄のある詩となっています。

 

薛濤は長安の人。父の薛鄖の赴任とともに成都へ移り、14・15歳の頃に任地で父が亡くなり17・18歳頃までに楽籍に入ります(伎女となること)。剣南西川節度使の韋皋の屋敷に召されて酒宴に侍し、詩を賦して女校書と称せられました。浣花渓にいて、白居易・元稹・牛僧孺・令狐楚・張籍・杜牧・劉禹錫などの著名な詩人たちと唱和し、名妓として知られました。なかでも11歳年下の元稹と親しく、恋仲であったとも言われています。

彼女が作った深紅の小彩がついた詩箋は、当時「薛濤箋」として持てはやされました。王羲之の書法を学んだ書家としても認められています。

薛濤は500首余りの詩を作ったとされますが、多くが散失し、現在まで伝えられているのは、残念なことに90余首しかありません。その中でも、この詩は特に有名です。

薛濤は、劉采春、魚玄機、李冶とともに、唐代四大女流詩人と呼ばれています。

 

薛濤は、多くの詩人たちと唱和する中で、詩の才能が開花していきますが、その詩は感情の表出に乏しく、技巧に優れ、職人的であるとも言われます。それは、薛濤という個人に起因するのか、それとも社会背景によるのか、今後の課題にしたいと思います。

 

参考:《唐诗鉴赏辞典 新一版》2013年,上海辞书出版社, 847-849页

https://so.gushiwen.org/shiwenv_d19cbe1d7b32.aspx

 

 

 吾の想ひ八割君に伝へたく文末に置く(笑)の一字を  cogito

 

 

 

f:id:COGITO:20210313160650j:plain