王維の詩「送祕書晁監還日本國」に思う

送祕書晁監還日本國

      秘書晁監の日本国に還るを送る

   王維

積水不可極, 積水 極む可からず

安知滄海東。 安んぞ滄海の東を知らん
九州何處遠, 九州 何れの処か遠き

萬里若乘空。 万里 空に乗ずるが若し
向國唯看日, 国に向って唯だ日を看

歸帆但信風。 帰帆は但だ風に信すのみ
鰲身映天黑, 鰲身 天に映じて黒く

魚眼射波紅。 魚眼 波を射て紅なり
鄉樹扶桑外, 郷樹 扶桑の外

主人孤島中。 主人 孤島の中
別離方異域, 別離 方に異域

音信若為通。 音信 若為でか通ぜん

 

広大な海は尽きることなく、青い海原のそのまた東の遥か彼方にある日本のことをどうして知ることができましょう。

世界中で、どこが一番遠いか、それは、あなたの国、日本でしょう。その距離は天空のように遙かに遠いことでしょう。

あなたの祖国日本に向かうには、ただ、ひたすら昇る太陽を見るが如く、東に向かって行くことになるでしょう。帰国の船路は、ただただ風まかせです。

鰲(伝説上の大亀)の背中は、天に映えて黒々とし、魚眼は波を射るがごとく紅いでしょう。

貴方の郷里の樹木のあるところ日本国は、扶桑のそのまた向こうにあり、貴方の主君の天皇は、絶海の孤島のなかにいらっしゃいます。

今回の別離で、遥か離れた異郷の地と別れ別れになってしまいますが、便りをどのようにして届けましょうか。

 

「送祕書晁監還日本國」は、唐代の詩人王維の五言排詩。

この詩は、遣唐使として中国に来ていた阿倍仲麻呂が752年(唐詩鑑賞辞典:735年)に日本へ帰国する際に贈った送別詩です。

仲麻呂は、唐の朝廷で主に文学畑の役職を務めたことから李白・王維・儲光羲ら数多くの唐詩人と親交していました。

帰国に際し、王維だけでなく、玄宗などからも詩を贈られていますが、この王維の詩「送祕書晁監還日本國」が最も有名です。

 

阿倍仲麻呂は、19歳の時、開元5年(717年)に第9次遣唐使として中国に渡ります。中国では、晁衡という名前を使っていました。玄宗・粛宗・代宗の三朝に仕え、諸官を歴任して高官に登ります。

752年第12次の遣唐使が来唐した際、唐の皇帝玄宗から遣唐使の応対を命じられ、望郷の念を抱いて帰国許可を玄宗に申し出ますが、容易には許可されませんでした。すでに在唐35年を経過していた仲麻呂は翌年秘書監・衛尉卿を授けられた上で、藤原清河と共に帰国を図ります。しかし、途中で船が暴雨に見舞われ、仲麻呂は安南に漂着し、死は免れましたが、帰国は果たせず再び長安に戻ります。

宝亀5年(770年)に長安で73年の生涯を閉じます。

 

送別の詩では、別れの時、場所、状況の説明から始まり、風景の描写で別れの気持ちを盛り上げるのが一般的です。しかし、この詩はそれとは全く異なり、広大な海の果てにある遙か日本国に到達することの計り知れない困難さに対する深い嘆きにも似た思いが表明されます。開頭の唐突さと詩人の感情のほとばしりは、この旅が想像を絶するものであることを表しています。また、その旅の安全をひたすらに祈る思いの表出でもあるのでしょう。

さらに、最後の二句で別離後に交流が途絶えることへの危惧の念が表され、深い惜別の情と遺憾の念を感じさせます。

 

仲麻呂は、19歳で中国に渡ってから、73歳で没するまでの54年を中国で過ごし、結局帰国はかないませんでしたが、多くの詩人たちと深い友誼を結びました。

日中の長い交流史の中でも特に光り輝く先人としての阿部仲麻呂とその周りにいた詩人たちとの関係が如何なるものであったのか、興味は尽きません。

 

参考:《唐诗鉴赏辞典 新一版》2013年,上海辞书出版社,187-189页

https://so.gushiwen.org/shiwenv_02aa395ee0fd.aspx

 

 

あまの原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも 阿部仲麻呂(古今406)