杜牧の詩「讀韓杜集」に思う

  讀韓杜集  杜牧

杜詩韓筆愁來讀,似倩麻姑癢處搔。

天外鳳凰誰得髓,無人解合續弦膠。

 

愁いにあるとき、杜甫の詩や韓愈の文章を読めば心が晴れる。それはまるで仙女を招いて痒いところを掻いてもらうような爽快さである。

天外から飛んできた鳳凰のような杜甫や韓愈の真髄を誰が理解し得ていようか。

世の中に切れてしまった弦を継ぎ合わせることのできる膠をもつものもいない。

(乱れてしまった世を立て直せる者もいない。)

 

「讀韓杜集」は、唐代の詩人杜牧(803-853)の七言絶句。

この詩は、安史の乱後、不遇にあった詩人が、杜甫や韓愈の文学的業績を高く評価し、偉大な先人への賛辞と尊敬の念を込めて作ったものです。

 

乱れた世の中を嘆きつつも、先人の語るところの真髄を理解し、前に進むことを進める内容ともとれます。

 

杜牧は晩唐の繊細な技巧的風潮を排し、平明で豪放な詩を作りました。

風流詩と詠史、時事諷詠を得意とし、艶麗と剛健の両面をもち、七言絶句に優れた作品を多く残しています。

杜甫の「老杜」に対し「小杜」と呼ばれ、また同時代の李商隠と共に「晩唐の李杜」とも称されます。

 

先人の文学作品を味わい、書籍から学び、思考することの大切さを教えてくれる詩だと思います。

  

 終日を研究室で過ごしたり本のにほひを抱えて帰る  cogito

 

 

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