杜甫の詩「望嶽」に思う
望嶽 嶽を望む
杜甫
岱宗夫如何, 岱宗 夫れ如何,
齊魯青未了。 齊魯 靑 未だ了らず。
造化鍾神秀, 造化は 神秀を鐘め,
陰陽割昏曉。 陰陽は 昏曉を割つ。
蕩胸生曾雲, 胸を盪かせば 曾雲生じ,
決眥入歸鳥。 眥を決すれば 歸鳥入る。
會當淩絕頂, 會ず當に絶頂を凌ぎて,
一覽眾山小。 一覽すべし 衆山の小なるを。
泰山(岱宗)とは、そもそも、どのような山なのか。
斉の国(現在の山東省東部)から魯の国(現在の山東省西部)にまたがり、山の青さは尽きることがない。
天地創造の造物主は、比類の無い霊妙を集め、泰山の南(陽)と泰山の北(陰)とでは夕方と明け方を異にするほどである。
我が胸を動かすのは、かさなりあった雲が湧き上がってくる様であり、目を大きく見開けば、ねぐらに帰る鳥が山影に吸い込まれていく。
いつの日か、必ずやこの泰山の頂上を極め、周囲の群小の山々を一望に見下ろしたい。
「望嶽」は、唐代の詩人杜甫(712-770)の五言古詩。
この詩は、雄大な泰山を望んで詠んだ詩です。
杜甫は、開元24(736)年、24歳の時、洛陽での進士の試験に及第できず、放浪の生活を始めます。北遊し斉や趙(現在の河南、河北、山東)を旅したときにこの詩を書いています。
杜甫の現存する最も早い時期に作られた詩で、行間から青年杜甫の若々しく旺盛な活力が感じられます。
詩人は泰山の雄大な風景を描き、その高尚で壮大、かつ幻想的な美しさを熱烈に讃えます。祖国の自然に対する愛とともに、いつかは困難を乗り越えて頂きに立ちたい(人の上に立ちたい)という大志が表明されている詩ともいえます。
杜甫には「望嶽」の詩が三首あり、それぞれ東岳(泰山)、南岳(衡山)、西岳(華山)を詠んでいます。
山東省の中部に位置する泰山は、南岳(衡山)、西岳(華山)、北岳(恒山)、中岳(嵩山)を合わせた「五岳」の筆頭に挙げられ、中国では「天下第一の山」の誉れが高い山です。
その主峰の標高は1545メートル。私は2019年に訪れましたが、聳えたつ雄大無比の奇峰は、まさに「地を抜き天に通ず」の感がありました。
一度泰山を訪れ、その壮大な姿を望んで杜甫の詩を吟じ、そして杜甫と共に頂きを目指してみるのはいかがでしょう。
参考:《唐诗鉴赏辞典 新一版》2013年,上海辞书出版社,460-462页
https://so.gushiwen.org/shiwenv_efec283b31e0.aspx
たつぷりと眠りたる朝細胞の鬱勃として生を謳歌す cogito