韓愈の詩「晚春」に思う

    晚春

   韓愈

草樹知春不久歸, 草樹は春の久しく歸らざるを知り,

百般紅紫鬥芳菲。 百般の紅紫 芳菲を鬥はしむ。

楊花榆莢無才思, 楊花と榆莢 才思無く,

惟解漫天作雪飛。 惟だ天に漫り 雪と作って飛ぶを解するのみ。

 

草木はみな、春が去ればしばらくは帰ってこないことを知っており、紅や紫など多彩にその美しさを競っている。

(しかし)楊花(柳絮)と楡銭(楡の莢)は、才も能もなく、ただ、この春の終わりに、雪のように飛ぶことを知るのみである。

 

「晚春」は、唐代の詩人韓愈(768-824)の七言絶句。

この詩は、晩春の風景を擬人化して描くことを通して、人生の哲理を説いた詩です。

自然の草木が、その時機を捕らえて美しく輝くように、人も時機を捕らえて自分の価値を創造すべきです。

また、柳絮や楡の莢が、他の草木のような才や能には恵まれないものも、独自の能力を内に秘め、晩春に雪景色にも似た美しさを添えるように、自分にしかない能力を発揮できるように努力することは大切であり、独自の価値を創造する精神は称賛に値します。

 

柳絮は白い綿毛をもった柳の種子で、晩春に白い綿毛が風に吹かれて飛ぶ風景は幻想的であり、中国の春の風物詩となっています。

楡の花も風媒花であり、銭の形をした莢に包まれた種子が風に吹かれて散布されます。

 

韓愈は、中国唐代中期を代表する文人です。貞元8(792)年に進士に及第し、監察御史、中書舎人、吏部侍郎などの官を歴任します。

六朝以来の文章の主流であった四六駢儷文を批判し、古文復興運動を提唱して、唐宋八大家の第一に数えられています。この運動に共鳴した柳宋元とともに「韓柳」と並称されます。

 

詩人としては、新奇な語句を多用する難解な詩風が特徴で、他からはあまり評価されていなかった孟郊賈島などの詩人たちを高く評価しています。

 

万物の「才思」は無くとも、異彩な才能の価値を認め、自らも独自性を大事にした韓愈にとって、詩の後半こそが伝えたかったことなのかもしれません。

 

参考:《唐诗鉴赏辞典 新一版》2013年,上海辞书出版社,873-874页

https://so.gushiwen.org/shiwenv_9aadcdc29984.aspx

 

 

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