劉禹錫の詩「和樂天春詞」に思う
和樂天春詞
劉禹錫
新妝宜面下朱樓,深鎖春光一院愁。
行到中庭數花朵,蜻蜓飛上玉搔頭。
一生懸命に綺麗に化粧し、楼閣を降りていきましたが、門は深く閉ざされ、庭園にみなぎる春の光も愁いにしか感じられません。
庭を歩きながら咲いている花の数を数えていると、玉の簪の上に蜻蛉(トンボ)が飛んできました(そして、さらに私の心を苛立たせるのです)。
「和樂天春詞」は、劉禹錫(772-842年)の七言絶句。
この詩は、白居易(白楽天)の詩「春詞」に対して詠まれたものです。
白居易は「春詞」で、楼閣の中でわびしく気持ちがふさぐ春愁の女性を描きつつ、そこから抜け出そうとしない女性を風刺しました。それは、白居易自身の心情を反映したものでした。
劉禹錫は「和樂天春詞」で、同じく楼閣に閉じ込められる女性を描いています。
女性は、丹念に化粧をして美しく装い、勇んで楼の下まで降りてきますが、門は深く閉ざされており、庭園を輝かせる春光は女性の愁いを増幅させます。
女性は、庭園をそぞろ歩きながら、鮮やかに咲き誇る花の数を数えて行きます。
するとそこに蜻蛉が飛んできます。蜻蛉は花と見まがうほどに美しい女性の上で飛び回り、女性の心をいらだたせます。そして、女性の愁いはさらに深まっていくのです。
女性は結局、現在の場所から外に出ることは叶わず、その花のような美しさも、庭に咲く花と同じく誰にも認めてもらうことができません。
春光爛漫の中、独り切なくやり過ごさざるをえない女性は、どうしようもない詩人たちの境遇や不満を暗示しているともいえます。
劉禹錫は、中唐の詩人で「詩豪」とも称されます。
代々儒学者の家に生まれ、貞元9(793)年に進士に及第します。同じ年に進士となった柳宗元とともに王叔文の党派に連なり、政治改革(永貞の革新)を推進しました。
しかし、急激な改革だったため、武元衡のような政敵を多く作ってしまいます。
宦官の圧力のために在位8ヶ月にして順宗が退位させられ憲宗が即位すると武元衡ら守旧派が力を盛り返し、劉禹錫は連州刺史に左遷されます。
このとき他の主立った同志も同じように各地の司馬に左遷されます。
この後、地位が安定せず、詩作などの文学に没頭していきます。
諷喩色の強い詩でも有名です。
白居易や柳宗元と多く唱和しました。
白居易とともに『竹枝詞』や『楊柳枝』を作る等、前衛的、実験的なことに取り組んでいます。
21世紀に生きる私たちは心の鎖を外し、「自由」を謳歌したいものです。
参考:《唐诗鉴赏辞典 新一版》2013年,上海辞书出版社,924-925页
https://so.gushiwen.org/shiwenv_48936601c146.aspx
茶を飲みて互いの歴史語る午後 青き空には国境あらず cogito