韋應物の詩「春遊南亭」に思う

           春遊南亭   

                    韋應物

川明氣已變,岩寒雲尚擁。

南亭草心綠,春塘泉脈動。

景煦聽禽響,雨餘看柳重。

逍遙池館華,益愧專城寵。

 

谷川は明るさを増し、気候もすでに暖かくなったが、山の岩は雲が覆い、まだまだ寒い。

南亭の枯草には緑の新芽が芽生え、早春の池には泉が沸き起こっている。

暖かな日差しを受けて鳥や獣たちの鳴き声が響き、柳の枝はさきほど降った雨が残り、重くなっているようだ。

そぞろ歩いて池や館の周りが華やいでいるのをみると、また專城に籠もることになる自分の身が残念である。

 

「春遊南亭」は、唐代の詩人韋應物の五言律詩。

この詩は、建中4(783)年頃の早春に、詩人が南亭に遊んだ際に詠んだものです。

南亭の美しい風光は人を誘います。いきいきと命が躍動する春の情景に触発されて、この詩を詠みました。

南亭の詳細はわかっていませんが、それは恐らく水辺にあり、周囲には山や池があり、旅の宿があり、旅人に憩いの場を提供している場所なのでしょう。

 

春の訪れとともに気候は暖かくなってきましたが、山にはまだ雲が覆い、冬の寒さが残っています。

南亭の周りの生きとし生けるものには春気が萌芽しています。陽光を受けて鳥や動物たちの鳴き声が響き渡り、先ほどまで降っていた雨がまだ枝に残る柳は、その緑をさらに増し美しく輝いています。

早春を愛でながらそぞろ歩く中で、ふと詩人の心は動きます。そして、今、こうして南亭に遊び、早春を満喫しているが、やがて仕事に戻り、地方長官としての役職を果たさなければならない不自由な身である自分の現実に寂しさを覚えるのです。

 

旅は非日常性を体験できる素晴らしいものですが、いつかはまた日常の生活に戻っていかざるをえません。旅の時間が素晴らしいものであればあるほど、現実との落差に心は沈みがちです。

しかし、日常があるからこそ、非日常の時間を貴重なものとして楽しむことができます。非日常を味わい、リフレッシュすることが日常の活力にもつながります。

日常と非日常が穏やかに繋がっている生活が理想かもしれませんが。

 

「楽しい時間よ、止まれ!」という思いは、唐代の詩人も同じだったのだと、思わず親近感を覚えてしまう詩です。

 

参考:https://so.gushiwen.org/shiwenv_256a43dc32eb.aspx

 

 

手を広げ飛び込みたくなる輝きは眼下流るる谷川の水   cogito

 

 

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