王勃の詩「羈春」に思う
羈春 王勃
客心千裏倦,春事一朝歸。
還傷北園裏,重見落花飛。
千里の道を漂泊し名を追い求めようとすることには倦み疲れ、春の風物は私を帰郷への思いに駆り立てる。
北園の情景は何故このように人を感傷的にさせるのか。またしても花々が風に舞い、散っていくのを見てしまった。
「羈春」は、唐代の詩人王勃(650?-676年)の五言絶句。
この詩は、晩春の光景を見ながら心情を詠んだものです。
題名の「羈春」は、「春をつなぎ止める」という意味ですが、つなぎ止めようも自然の摂理に逆らうことはできません。人もまた同じであり、その切なさを詠んだものと思われます。
王勃は、中国の唐代初期の詩人で、楊炯・盧照鄰・駱賓王とともに「初唐の四傑」と称せられます。
祖父の王通は隋末の高名な儒学者で、祖父の弟の王績も詩人として知られました。
王勃も幼少より神童の誉れ高く、6歳の時にすでに詩作を始めています。
16歳の時に科挙に合格し、朝散郎となり、ついで高宗の子の沛王李賢の侍読となってその寵を受けます。
諸王の闘鶏を難じた「檄英王鷄文」を書いて出仕を差し止められ、剣南に左遷されます。
のちに虢州(現在の河南省三門峡市)の参軍となったときに罪を犯した官奴を匿いきれなくて殺し、除名処分にあいます。
この事件に連座して左遷された父の王福畤を訪ね、その困窮ぶりを目の当たりにします。その帰途、南海を航行する船から転落して溺死しました。
五言律詩や五言絶句に長け、代表作の「送杜少府之任蜀州」など80首余りの詩が残されています。
この詩は、早熟で将来を期待されながらも、うまく世を渡れず、わずか27歳の若さで亡くなった詩人の思いが凝縮された詩といえるかもしれません。
参考:https://so.gushiwen.org/shiwenv_14b0697b00dd.aspx
吾が思ひ綴る手立てを持ちたるの心強さを改めて知る cogito