李華の詩「春行即興」に思う

     春行即興

              李華

宜陽城下草萋萋, 宜陽城下 草萋萋たり

澗水東流複向西。   澗水東に流れて 復た西に向う

芳樹無人花自落, 芳樹人無く 花自ずから落ち

春山一路鳥空啼。 春山一路 鳥空しく啼く

 

宜陽の町の郊外に春の若草が生い茂り、谷川の水は東へと流れ、さらにまた西へと向う。

薫り高い花の木は、見る人も無いままに自ら花を散らし、春の山道のひとすじに、鳥は聞く人も居ないまま空しく囀っている。

 

「春行即興」は、唐代の詩人李華(715?-766年)の七言絶句。

この詩は、春の日に宜陽の郊外にでかけ、興にのって即座に詠んだものです。

 

李華は、開元23(715)年に進士となり、天宝11(752)年には監察御史となりますが、後に右補闕に左遷されます。安禄山が洛陽を陥落したとき、叛乱軍の占領地帯にいた母を救い出そうとして捕らえられ、鳳閣舎人の職を命じられます。鎮定後には杭州司戸参軍に左遷されました。

 

詩人は、安史の乱が鎮定されてまもない春の一日、宜陽(現在の河南省洛陽市宜陽県)の郊外に出かけます。当時宜陽には、唐代最大の行宮がありましたが、そこは激しい破壊に遇い、荒れ果てていました。

郊外に足を運べば、草木が青々と茂り、谷川には清涼なる水が流れています。しかし、木々の香しい花は、見る人もなく散っていきます。春の山で鳥は美しく囀っていますが、聞く人もいません。以前ここは、多くの人々を引きつける著名な遊覧の地でした。

まさに、眼前に広がる「国破れて山河あり、花は落ち、鳥は啼く」の情景に即して、その感慨を詠んだものです。詩人の深い嘆息が聞こえてきそうです。

杜甫(712-770年)の詩「春望」の中の『國破山河在,城春草木深。』に通じるものがあります。

 

李華は、後に大別山南麓に隠居して仏法を信奉し、大歴元(766)年に病死します。

著名な散文家としても知られています。

 

参考:《唐诗鉴赏辞典 新一版》2013年,上海辞书出版社,654-656页

https://so.gushiwen.org/shiwenv_295666239860.aspx

 

 

雪も解け虫も這ひ出す浮き立つ日人はマスクし俯きてゆく         cogito

 

 

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