杜甫の詩「春望」に思う

    春望

       杜甫

國破山河在, 國破れて 山河在り,

城春草木深。 城春にして 草木深し。

感時花濺淚, 時に感じては 花にも涙を濺ぎ,

恨別鳥驚心。 別れを恨んでは 鳥にも心を驚かす。

烽火連三月, 烽火 三月に連なり,

家書抵萬金。 家書 萬金に抵たる。

白頭搔更短, 白頭掻けば 更に短く,

渾欲不勝簪。 渾て簪に勝へざらんと欲す。

 

 

国都長安は破壊されても、山河は変ることなく存在しており、街は春になり、草木が深く生い茂っている。

時の移り変わりに感じ入って、花を見ても涙が流れ、家族と別れていることを思うと、鳥の声にも心はざわめく。

戦は、この三ヶ月の間なおも続き、家族からの手紙が万金に値するほど貴重なものに思える。

白髪頭を掻けば、髪は更に短く少なくなり、すっかり簪も挿せなくなりそうだ。

 

「春望」は、唐代の詩人杜甫(712-770年)の五言律詩。

この詩は、安史の乱後、荒廃した都の様子を見て詠んだものです。

 

安史の乱の際、杜甫は反乱軍に捕えられ、長安に軟禁されますが、官位が低いため監視は緩く、城内を自由に歩き回ることができました。この詩は、至徳2(757)年の春に、長安を見下ろす丘の上で作ったものといわれています。

 

代々官吏の家に生まれ、儒家の学問と思想を身につけた杜甫にとって、唐の王朝は忠誠の対象であり、生活と精神のよりどころでした。

古来、四季や宇宙の運行は政治を反映するという考えがあります。それゆえ、国が乱れ荒廃してもなお、常と変らず季節が巡ることに、杜甫は茫然とし、不条理さえも感じるのです。

前に読んだ李華の詩「春行即興」と相通じる感慨といえます。

 

「冠をとめる簪が挿せない」というのは、もう官職も望めないかも知れないという嘆きでもあります。官職を望むのは、収入や出世のためだけではなく、世のため人のために政治に携わらねばならないという士大夫の考えであり、国に対する思いの深さでもあるといえそうです。

 

この詩は、唐の時代背景を下に生まれたもので、同時代に生きた人々の愛国の情と平和への期待を反映しています。

韻律が整い、情景と心情が融け合った完成度の高い詩であり、千二百年余りを経た現在でもなお、多く人々に読み継がれています。それは、今にも通じる家族への深い思いと愛国の精神が、多くの人の心を揺さぶるのだと思います。

 

参考:《唐诗鉴赏辞典 新一版》2013年,上海辞书出版社,497-498页

https://so.gushiwen.org/shiwenv_89d3a63c6d7f.aspx

 

 

こんな時日本人ならどうすると聞かれ国旗の赤の目に染む   cogito

 

 

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