杜審言の詩「渡湘江」に思う

        渡湘江            湘江を渡る

杜審言 〔唐代〕

遲日園林悲昔遊, 遅日 園林 昔遊を悲しむ

今春花鳥作邊愁。 今春 花鳥 辺愁を作す

獨憐京國人南竄, 独り憐れむ 京国の人南竄せられ

不似湘江水北流。 湘江の水の北流するに似ざるを

 

かつてうららかな春の日に園庭の林で遊んだ時のことを思うと、懐かしくも悲しくなる。

今年の春も花が咲き、鳥が囀るが、辺境に至ろうとする私には、それらは哀愁を引き起こすのである。

長安から南方の辺境に至らねばならない我が身を一人哀れむばかりである。

私とは逆に湘江の水は北へ流れて行く(まったく羨ましいかぎりだ)。

 

「渡湘江」は、唐代の詩人杜審言(645?-708年)の五言絶句。

この詩は、左遷され辺境に至る途中、湘江を渡る際に、その心情を詠んだものです。

湘江は現在の湖南省を流れる大きな河で、長江の支流にあたります。

 

杜審言は初唐の詩人。襄陽(湖北省)の人で詩聖杜甫の祖父。

唐代「近体詩」の基礎を作った一人であり、李嶠、崔融、蘇味道とともに「文章四友」とも呼ばれています。

 

杜審言は、咸亨元(670)年、進士に及第し、隰城県尉(現在の山西省呂梁市の役人)となりますが、神龍元(705)年頃、武則天の寵臣の張易之らと親しくしていたために左遷され、峰州(現在のベトナムフート省)に流されます。

この詩は、峰州に向かう途中で詠んだものと思われます。

 

南方の彼方に左遷される我が身上を愁い、自分とは逆に北へと流れていく湘江の水に対して嫉妬すら感じてしまいます。

左遷される我が身への憐憫と都(長安)への思慕の念が素直に詠まれています。

 

参考:《唐诗鉴赏辞典 新一版》2013年,上海辞书出版社,19-21页

https://so.gushiwen.org/shiwenv_85e7201534bb.aspx

 

 

夕顔は本能として頼る術知りて纏はり伸びて行くなり  cogito

 

 

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