柳宗元の詩「梅雨」に思う

梅雨

柳宗元 〔唐代〕

梅實迎時雨,蒼茫值晚春。

愁深楚猿夜,夢斷越雞晨。

海霧連南極,江雲暗北津。

素衣今盡化,非為帝京塵。

 

梅が実を結ぶ頃、雨の時期を迎え、蒼茫たる空は、まさに晩春を思わせる。

愁いは楚の猿が悲しく啼く夜に深まり、夢は越の鶏が鳴く夜明けに断たれてしまった。

海上の霧は、南の果てまで連なり、河の雲は対岸の津を暗くしている。

素衣が今黒く染まってしまったのは, 雨と共に降った帝京の塵の為ではない。

 

「梅雨」は、柳宗元(773-819年)の五言律詩。

この詩は、江南の梅雨の時期に、風景に託して鬱々とした心情を詠んだものです。

柳宗元は、805年、永貞改新の政争に敗れ、改革派として政治犯の汚名を着せられ、長安を遠く離れた邵州へ刺史として左遷されます。ところが保守派が掌握した宮廷では処分の見直しが行われて改革派一党に更なる厳罰が科されることになり、更に格下の永州の員外司馬として再度左遷され、約10年間を永州で過ごします。

この詩は、この時に詠まれたものと思われます。

 

楊梅が実を付ける頃、江南一帯は梅雨の時期を迎え、空の色も晩春を思わせます。江南永州に左遷され、理想とはかけ離れた生活を送る詩人は、夜に啼く猿の声に愁いは深められ、夜明けに鳴く鶏の声に、しばしの夢も断たれてしまうのです。

海上は霧雨で朦朧として南の果てまで続き、河に立ちこめる雲も対岸まで暗くしています。まさに詩人の前途を映し出しているかのようです。

身につけた白い衣が黒く染まってしまったのは、梅雨の雨とともに降った京の塵によってではないと言います。つまり、京の不法な処置が詩人に黒い衣を纏わせた(罪を着せた)のだということを暗に示しているのでしょう。

 

詩を詠むことによって鬱情をなんとか昇華させようとする詩人の切実な思いが伝わってきます。

 

参考:https://so.gushiwen.org/shiwenv_9e3303d59c9e.aspx

 

 

出しかける言葉咽下し収むるも涙の嘔吐尽きぬ朧夜  cogito

 

 

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