李白の詩「早発白帝城 」に思う
早発白帝城 早(つと)に白帝城を発す
李白
朝 辞 白 帝 彩 雲 間, 朝(あした)に辞す白帝彩雲の間
千 里 江 陵 一 日 還。 千里の江陵一日にして還(かえ)る
両 岸 猿 声 啼 不 住, 両岸の猿声啼いて住(や)まざるに
軽 舟 已 過 万 重 山。 軽舟已(すで)に過ぐ万重の山
朝早く彩雲たなびく白帝城をあとにし、千里離れた江陵へと一日で帰る。両岸の猿の鳴き声がまだやまぬうちに、小舟は早くも万重の山々を過ぎてしまった。
「早発白帝城」は、唐代の詩人李白(701-762)の七言絶句。
この詩は、流刑の途中、恩赦にあい、帰還の途につく際に作られた詩です。詩人の喜びに浮き立つ心情が伝わってきます。
安史の乱の際、李白は永王の軍に加わりますが、永王は反逆者として敗死、李白も逆賊の一人として捕らえられ、あやうく死刑になるところを減刑され、夜郎(現在の貴州遵義)へ流罪となります。流刑地へ向かって長江を遡る旅の途中巫山(現在の四川省内)で恩赦の知らせを受けた李白は、早速舟で上ってきた長江を金陵(現在の南京)に向かって下ります。この時の喜びを詠んだ詩と言われています。李白は当時58歳。
第一句の朝の美しい景観は詩人の心情そのものでしょう。「千里」と「一日」の対比で速度を表し、後半の二句で、その様子が描写されます。舟が速いので猿の声は途切れることなく次々と聞こえては消えていき、長江両岸の山々がまたたく間に後ろに飛び去っていきます。「舟」は、李白の乗る舟ですが、李白の心そのものでもあるようです。
長江を遡るときの舟の運行と詩人の心の沈鬱を想像すると、同じ長江を下っていく舟と詩人の心情の軽快さは理解に難くなく、誇張した表現も自由豪放かつ浪漫を求めた李白らしさを感じます。
この詩に描かれる白帝城をはじめ、長江沿いには山水画にも描かれた美しい自然景観や多くの旧所名跡があり、三峡ダム建設にあたり、その多くが失われる可能性が指摘されました。
私の友人たちは消失する前に見ておきたいと、三峡を訪れましたが、残念ながら私は機会を得ませんでした。幸い、白帝城は孤島化したもののアクセス道路が建設され、現在も引き続き観光名所となっています。
しかし、残念ながら、李白が聞いた猿(テナガザルの仲間)は、現在長江流域には生息しておらず、その鳴き声を聞くことはできないようです。
中国では、改革開放政策が始まってから、急ピッチで開発が進められてきました。
人々の暮らしは便利になり、移動もしやすくなりました。
高速鉄道網の発達で「千里」を「一日」で移動することも可能です。国定の休日も増えて観光地も多くの人で賑わっています。
中国に来て以来、安徽省の黄山や山東省の泰山、四川省の蛾眉山、湖南省の張家界などの大自然も堪能しました。
現在はロープウェイやエレベーター、エスカレーター、モノレールなどが整備され、年齢や体力を問わず、多くの人がその素晴らしさに触れることができるようになりました。
しかし、張家界で映画『アバター』の着想元となった絶壁を330メートルの高さから野外高速エレベーターで直下したときには、何か言いようのない違和感を覚えました。
便利さと引き替えに失ったものもあることを忘れてはならないと思います。
近年は貧困解消政策の推進もあり、各地で観光資源のさらなる掘り起こしが行われています。
しかし、長い時間をかけて作り上げられてきた文化財の保護や保存には、さらに多くの時間と費用を要します。
悠久の歴史と広大な国土をかかえる中国には、まだまだ多くの文化財が眠っていることでしょう。
中華にとどまらず、人類の歴史文化遺産として、大切に保護・保存されることを切に願います。
姫飯を食ひ初めしより五百年大和の民は細面となり cogito