賈島の詩「三月晦日贈劉評事 / 三月晦日送春」に思う

三月晦日贈劉評事 / 三月晦日送春

               賈島

三月正當三十日, 三月 正に當たる 三十日,

風光別我苦吟身。 風光 我が苦吟の身に別る。

共君今夜不須睡, 君と共に 今夜睡るを須ゐず,

未到曉鍾猶是春。 未だ 曉鐘に到らざれば 猶ほ是れ春。

 

今日は3月30日、まさに三月最後の一日で、春の風光は、苦吟の身である私に別れを告げようとしています。

私はあなたと共に今夜は眠らずにいましょう。夜明けを告げる鐘が鳴るまでは、まだ春の季節なのですから。

 

「三月晦日贈劉評事 / 三月晦日送春」は、唐代の詩人賈島の七言絶句。

この詩は、3月最後の日に、惜春の思いを込めて友人に贈ったものです。

友人(劉評事)の詳細はわかっていません。

 

詩人は、三月最後の日に、いよいよ春が去ってしまうという思いに駆られます。

最後であれば、夜を徹して、春を楽しみ、夜明けの鐘が鳴り、春の季節が本当にいってしまうまでの間、存分に堪能しようと友人に呼びかけます。

春光が去りゆくことを惜しむだけでなく、時を大切にし、最後まで詩作に励もうとする詩人の精神も感じられます。

 

賈島は、唐代の苦吟の詩人として知られ、五言律詩に長けていました。

「題李凝幽居(李欵の幽居に題す)」の詩作中、その中の一句で僧は「敲く」がいいか、僧は「推す」がよいかと悩みながら行くうちに、韓愈の行列に突き当たります。

賈島が悩みを打ち明けて相談したところ、韓愈は「それはもちろん、僧は敲くが良い」と助言し、「敲く」に決めたという「推敲」の言葉の由来となる話が残っています。

その後賈島は韓愈の門下に入ります。

 

たゆまず研鑽を続ける詩人の姿勢に学びたいものです。

 

参考:https://so.gushiwen.org/shiwenv_5e406d75e869.aspx

 

 

天空に大輪咲かせ花火散る短歌の種を五官に託し  cogito

 

 

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