劉禹錫の詩「送春詞」に思う

 送春詞

   劉禹錫

昨來樓上迎春處, 昨來 樓上 春を迎へし處,

今日登樓又送歸。 今日 樓に登りて 又た歸るを送る。

蘭蕊殘妝含露泣, 蘭蕊の殘妝 露を含みて泣き,

柳條長袖向風揮。 柳條の長袖 風に向かひて揮る。

佳人對鏡容顏改,    佳人 鏡に對すれば 容顏 改まり,

楚客臨江心事違。 楚客 江に臨めば 心事 違ふ。

萬古至今同此恨,    萬古 今に至るも 此の恨を同じうし,

無如一醉盡忘機。    如ともする無し 一醉して盡く機を忘れん。

 

つい先日この楼閣の上で春を迎えたように思うが、今日は又ここに登って(春を)送っている。

蘭の花蕊(花のしべ)は、粧が崩れ、露を含んで泣いているようであり、柳の枝は長い袖を風に向かって振っているようである。

美しい人は鏡に対して容貌が変ったことを感じ、楚の国から来た旅人は川岸で、心が事がらと違うことを知るのだ。

昔から今に至るまで、この恨みは同じであり、いかんともしがたい、少し酒を飲んで、すっかりと俗念を忘れてさっぱりするよりほかにあるまい。

 

「送春詞」は、唐代の詩人劉禹錫の七言律詩。

この詩は、晩春の情景を詠んだものです。

 

春をつい先日迎えたと思いきや今日はまたその春を見送っていると、歳月が過ぎゆくことの速さを訴えます。

晩春の季節、花は凋れて美しい姿を留めず、まるで春が去るのを悲しみ泣いているようです。

柳はその長い枝を風になびかせ、長い袖を振って春が去るのを見送っているようです。

美人は、鏡と向き合えば、歳月とともに自分の容貌が変わり、美が衰えていくのを感じます。

楚の国から来た旅人は、自分の思いとは裏腹に世間の事情に翻弄されざるをえません。

古今このような恨みは同じであり、言っても仕方がないので、酒でも飲んで酔って忘れるしかないと諦念するのです。

 

楚の国から来た旅人とは、屈原を指し、ここでは詩人が自嘲を込めて詠んでいます。

当時、詩人は左遷され、孤独と寂寥感を感じており、その愁いがこの詩に反映されています。

詩人は、異郷の地に左遷され、志を実現することが困難な立場に置かれた屈原と自分を重ねます。

詩全体は、対句が美しく構成されており、暗示も巧みに使われています。

自らの情緒を風景に溶け込ませ、心に溜まった不満や抑鬱した情感を表現しています。

情緒的であると同時に楽観的で開放的な詩人の姿勢を表現しているといえるでしょう。

 

この詩を読んで、「ニーバーの祈り」を思い出しました。

知恵を持って、一日一日を大切にいきたいものです。

 

参考:https://zhuanlan.zhihu.com/p/64441502

http://home.interlink.or.jp/~suno/yoshi/poetry/p_niebuhr.htm

 

 


所在なき異国の日々にさ迷いて口付く母語は怒濤のごとし  cogito

 

 

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