唐代の詩「金縷衣」に思う

金縷衣  唐 杜秋娘

勸君莫惜金縷衣, 君に勧む 金縷の衣を惜しむ莫れ、
勸君惜取少年時。 君に勧む 少年の時を惜しみ取るべし。
花開堪折直須折, 花開いて折るに堪えば直ちに須く折るべし、
莫待無花空折枝。 花無きを待って空しく枝を折る莫れ。
            
君に勧む、富貴や栄華を惜しむなと。君に勧む、少年の時をこそ惜しむべし。

花が開き手折るべき時に直ちに折るべし。花が散るのを待って空しい枝を折らぬように。

 

「金縷衣」は唐代の七言詩、作者を杜秋娘とする出典もありますが、よくわかっていません。

この詩は「時間を大切にせよ」と諭すものであり、単純ではありますが、読み者に強烈に訴える強さがあり、それが魅力とも言えましょう。

 

「光陰矢の如し」とも言われるように、時間の経つのは早い。わかってはいるものの、なかなか実践することは難しい。特に豊かになった現代において、多くの誘惑をたって専心することは難しいのではないでしょうか。

 

『山月記』の作者として知られている中島敦は「人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、 何事かをなすにはあまりにも短い」という言葉を残しています。人生を長く生きてみると、この言葉の意味が心に沁みます。そして、過去の誤りを反省しつつも、「今、この時を大切にすべし。いま、この時が、今生において最も若いときなのだから。」と自分を励ますのです。

  

少年の時を大切にし「何をするか」は、人によって様々でしょう。選択肢の多い時代に生まれるということは、良くも悪くもあるようです。

『選択の科学』でシーナ・アイエンガー氏が述べているように、選択肢が多すぎると、人は結局選ばないという選択をしがちです。

急速に豊かになっていく中国の今の学生たちを見ていると、そう感じたりもします。

 

 

2020年12月に行われた《考研》大学院(修士課程)の入学試験に中国全土から377万人が参加しました。参加した学生に話を聞くと、「とりあえず大学院までは行っておきたい」という意見が多く「何を研究したいの?」と尋ねると「まだ決めていません」という答えが多く返ってきます。

 

幼少から学校という箱の中の勉強にほとんどの時間を捧げてきた彼らにとって、そこから離れる選択肢はとりにくく、また「高学歴社会」に逆らわず、とりあえずその流れに乗っておきたいという心情もくみ取れます。

 

中国は今、教育に膨大な投資が行われています。社会の要請であれ、親の夢の仮託であれ、個人の希望であれ、学問に多くの時間を捧げられることは幸せなことだといえるでしょう。

 

自ら選び取った道を専心して進むことが難しくなった時代、流れに乗っていくのも、良いことかもしれません。流れに乗る中で、見えてくるものもあるでしょう。

 

人生100年時代、いろいろと寄り道してみるのもいいかも。

 

 大陸の緋色に染まる窓辺にて吾は誰なりと自問してをり cogito

 

 

 

 

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