崔顥の詩「黃鶴樓」に思う

    黃鶴樓    

      崔顥

  昔人已乘黃鶴去, 昔人已に白雲に乗りて去り

  此地空餘黃鶴樓。 此の地空しく余す 黄鶴楼
  黃鶴一去不復返, 黄鶴一たび去って復た返らず

  白雲千載空悠悠。 白雲千載 空しく悠悠
  晴川歷歷漢陽樹, 晴川歴歴たり 漢陽の樹

  芳草萋萋鸚鵡洲。 芳草萋萋たり 鸚鵡洲
  日暮鄉關何處是, 日暮 郷関 何れの処か是なる

  煙波江上使人愁。 煙波 江上 人をして愁へしむ

 

かつてこの地で仙人が黄鶴に乗って飛び去ったという。その後には黄鶴楼だけが空しく残っている。一度飛び去った黄鶴は二度と戻って来ない。だが白雲は時を超え、変わることなく悠々と空に浮かんでいる。晴れ渡った空の下、長江の向こうに漢陽の木々がはっきりと見渡せ、中州の鸚鵡洲にも春の草が青々と生い茂っている。

日は暮れていくが、私の故郷はどのあたりだろうか。長江には夕靄が立ちこめ、人を郷愁に誘う。

 

「黃鶴樓」は、唐代の詩人崔顥(704?-754)の七言律詩。

格調高く優美な調べと言葉の自然な流れによって唐代七言律詩の最高峰とも称されています。

李白が黄鶴楼に登った際、楼壁に書かれたこの詩を読み、「これ以上の詩は作れない」と言ったという逸話も残されています。 李白は、後にこの崔顥の「黄鶴楼」を意識して詠んだ「登金陵鳳凰臺」(金陵の鳳凰臺に登る)という七言律詩を残しています。

 

畳語の使用など、言葉の選択が絶妙であり、その調和した調べは格調高い音楽的な美しさを感じさせます。是非中国語で読みたい詩です。

 

2018年5月、私は大学の外国人教師の研修で武漢を訪れ、黃鶴樓に登りました。

現在の武漢は都市化が進み、残念ながら崔顥が詠んだ黃鶴樓からの風景は、ずいぶんと様変わりしていました。

しかし、思わず日本はどの方向かと探す自分に驚きました。

かつて多くの詩人が同じ場所で詩を読んだことを思うと特別な感慨を覚えました。

ちなみに現在の黃鶴樓は、1985年6月に再建されたものです。

 

 

 英・仏・露言語飛び交ふ楼にたち故国の位置を確かめてをり  cogito

 

 

 

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