錢起の詩「送僧歸日本」に思う

 送僧歸日本  

       僧の日本に歸るを送る   

   錢起

上國隨緣住, 上國 縁に隨いて住す,

來途若夢行。 來途 夢行の若し。

浮天滄海遠, 天に浮かびて滄海遠く,

去世法舟輕。 世を去りて法舟輕し。

水月通禪寂, 水月禪寂に通じ,

魚龍聽梵聲。 魚龍梵聲を聽く。

惟憐一燈影, 惟だ憐む一燈の影,

萬裏眼中明。 萬里眼中に明かなるを。

 

大唐の都に、仏縁によって住まわれた。その来る道は、夢の中での旅路のようであったでしょう。

これから天の下を漂うように航海し、遥かに遠く離れた日本のあるところ、滄海の彼方に向かわれる。中華の地から離れていく仏法の加護のある貴方の乗った舟は輕やかです。 

水に映る月影の姿は、仏教の悟りの境地に通じるものがあり、海中の魚龍は、貴方の読経の声を聴くでしょう。

ただ、悟りの法灯を大事になされば、仏法の光明は万里の彼方まで、貴方の心眼を明るく照らし続けるでしょう。

 

「送僧歸日本」は、唐代の詩人錢起(722?-780)の五言律詩。

錢起は、中唐の詩人で、進士に合格した後、校書郎・考功郎中を歴任し、大暦年間には太清宮使・翰林学士に至ります。

この詩は、長安にいた詩人が、日本から唐朝に仏教を学びに来ていた留学僧の帰国に際し贈った送別詩です。

しかし、その留学僧の詳細や詩人との関係は定かではありません。

 

この詩では、「隨緣」「法舟」「禪寂」「水月」「梵聲」など、仏教用語が多く使われており、禅の風格が漂っています。

 

日本は中国唐朝に多くの遣唐使を送りました。その中には多くの僧侶も含まれ、最澄は日本に帰国後、天台宗を、空海は真言宗を開いています。

彼らは、仏教の教えだけでなく、文化や技術も学びました。

大量の仏教経典だけでなく、詩文集や字貼等も持ち帰り、天皇に献上しています。

彼らは漢詩文や書画にも大きな才能を開花させ、日本の新たな文化興隆に多大な貢献をしました。

また、中国からは鑑真和尚が請われて渡日します。彼は5度にわたる渡航の失敗により失明しますが、753年に65歳で来日し、唐招提寺を建立、日本の仏教発展に多大な功績を残します。763年、唐招提寺禅堂で結跏趺坐のまま76年の生涯を閉じます。

 

この詩は、日本と中国の長い交流の歴史のなかでも大変重要な時期に作られ、その交流の様を示す貴重な詩とも言えそうです。

https://so.gushiwen.org/shiwenv_dffaca77458e.aspx

 

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