賈島の詩「題李凝幽居」に思う

題李凝幽居  李凝の幽居に題す

         賈島

閑居少鄰並,  閒居 鄰並少に,

草徑入荒園。  草徑 荒園に入る。

鳥宿池邊樹,  鳥は宿る 池邊の樹,

僧敲月下門。  僧は敲く 月下の門。

過橋分野色,  橋を過ぎて 野色を分かち,

移石動雲根。  石を移して 雲根を動かす。

暫去還來此,  暫く去りて 還た 此に來る,

幽期不負言。  幽期 言に負かず。

 

李凝が隠棲している閑居は、隣り合う家も少なく、草深い小道が、荒れた雑草の生い茂る小園に続いている。

鳥は、池の畔の樹々に宿っており、僧(作者)が月の光の下で門を敲く。

橋を渡ると野原の景色や雰囲気が変わり、山の石を動かしてきたかのような雲が沸き起こる。

暫くここを離れ、また来よう、再度約して尋ねれば間違いはなかろう。

 

「題李凝幽居」は、唐代の詩人賈島の五言律詩。

この詩は、友人(李凝)の住まいを尋ねるも遇えなかった状況を詠んだものです。

友人(李凝)の詳細はわかっていません。

 

詩人は、月夜に友人が隠棲生活を送る住まいを尋ね、門を敲きますが、友人は不在です。そこで、また約束をして会いに来ようと決めて帰って行きます。

美しい月夜の情景が、友人に会うことが叶わなかった詩人に同伴します。

詩人が友人の隠遁生活に憧れる思いも表現されているようです。

 

この詩は「推敲」の言葉の由来となった詩としても有名です。

賈島は、この詩作の過程で、僧は「門を敲く」がいいか、僧は「門を推す」がよいかと悩みながら行くうちに、韓愈の行列に突き当たります。賈島が悩みを打ち明けて相談したところ、韓愈は馬から下りて暫く考え「僧は敲くが良い。なぜなら月夜に友人を訪ね、たとえ家の門に施錠がなかったとしても、そのまま門を推して入ってはいかない。門を敲くは、礼儀をわきまえていることを示すもので、さらに、敲く音の響きは、月夜の静けさを際立たせる」と助言し、「敲く」に決めたといわれています。

韓愈の適切な助言に思わず感服してしまいます。

後に、賈島は韓愈の門下に入り、孟郊張籍・李賀・王建などとともに「韓門の弟子」と称されます。

 

素晴らしい師との出会いが人生を変えるともいえそうです。

 

参考:https://www.gushiwen.org/GuShiWen_d97eafb3f5.aspx

 

 

紫の菖蒲一輪床に生け初風呂据ゑて師を迎へたり  cogito

 

 

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