杜牧の詩「寓言」に思う

         寓言

         杜牧

暖風遲日柳初含,顧影看身又自慚。

何事明朝獨惆悵,杏花時節在江南。

 

春、暖かい風が吹き、柳には新芽が芽吹いている。(このような素晴らしい日に)私は自分の影を顧みて自分を恥じている。

この聖明の朝代に何が私を一人鬱々とさせるのか。今ここ江南は、杏の花の時期を迎えている。

 

「寓言」は、唐代の詩人杜牧(803-852?年)の七言絶句。

この詩は、大和元(827)年、詩人が涔陽(現在の湖南省澧縣)に遊んだ際に詠んだものです。

当時杜牧は、まだ進士の試験に合格できておらず、駙馬兼澧州刺史であった従兄弟の杜悰のところに居候している身でした。

そうした状況下で、詩人は春の情景に即して自分の陰鬱な心の内を詠んでいます。

 

暖かい春風が吹き、柳にも柔らかな薄緑色の新芽が吹き出しています。春のうららかな日に、本来であれば心も軽く弾んでいるはずなのに、詩人の心は晴れません。詩人は、自分の影を振り返って自分を見つめ直し、慚愧の念を覚えるのです。そして、「何が自分を陰鬱な気分にさせるのか」と自分に問いかけます。その答えが最後の句でわかります。それは今まさに杏の花の季節を迎えていることです。

唐の時代には、科挙で新たに進士となった者は、曲江の北の慈恩寺の南の通善坊にある杏園で祝宴を賜った後、大慈恩寺の大雁塔の下を訪れ、その壁に名を記すことができました。

まさにその杏の花が咲く季節になるのに、自分はまだ祝宴に参上することができないという事実が、詩人の心を深い慚愧と陰鬱へ誘うのです。

 

この後、大和2(828)年春、25歳の杜牧は、洛陽で5番目の成績で進士に合格し、官吏の道を歩み始めます。

 

この詩は、まだ自分の才能を発揮する場を得られていない青年期の詩人が、苦しみ悶える心情を吐露したものといえます。

 

中国では、大学4年生は大学院入学試験が終わり、卒業論文執筆の最終段階を迎えています。しかし、大学院入試で成績が振るわず、意気消沈したままの学生を多く見かけます。

特に新型コロナウイルスの影響で、今年の大学院は例年以上に狭き門となりました。昨年の合格ラインを優に越えた点数でも、今年ははじかれるケースが多く見られます。

また、海外から帰国し中国の大都市で就職しようとする若者が急増し、進学から就職に切り替えるのもなかなか難しい状況であり、4年生の鬱は深まるばかりです。

気持ちを切り替えて、今なすべきことに集中してほしいのですが、学生にとってはなかなか簡単なことではありません。

 

この季節、卒論指導をしながら、一人一人異なる学生のこころと向き合っています。

 

参考:https://so.gushiwen.org/shiwenv_9a8d46b6d31b.aspx

http://www.exam58.com/tdmds/5185.html

 

 

感情は言の葉となり文字となりゆくりゆくりと昇華されゆく  cogito

 

 

f:id:COGITO:20210422071108j:plain